応援メッセージ
様々なご縁のなかで、手刻み技術の発展的継承に共感・賛同いただいた方からの、本当にありがたく、あたたかいメッセージを頂戴しています。

©Shoji Onuma
手仕事と暮らしの繋がり
ミナ ペルホネン デザイナー 皆川明氏
産業革命以降、手仕事がこの世界から減り始め、機械化、合理化によって有機的な物づくりが社会の景色から失われている。住まいという人の暮らしの中心となる空間においてもそれは例外ではないようだ。
私達が消費という言葉を用いいて物を購入し始めたのはいつ頃からだろう。いつしか私達自身も消費者と名乗り、日本においては1970年頃からの高度経済成長の物づくり方程式は、大量生産、大量消費のサイクルとなっていった。そのサイクルは生産量が増え、時間サイクルはより短くなり、そこに費やされるコストも安価なものへとシフトしていくこととなる。当然、作る現場は合理化と簡略化が進み、手仕事による技術を活かす場は減っていき、その技術の伝承も難しくなっていった。
本来のサスティナブルやSDGsという環境への意識や目標は、単に持続可能性を謳っているのではなく、本質的な意味として人間の営みと幸福感が繋がらなければならないのだと思う。人は物を所有することでその機能や物の美しさから幸福感を得ているが、その感情は物への愛着や敬意とも言えるだろう。その感情を人が感じるためには、単なる機能だけではなく物に含まれる作り手の"想い"も大切な役割を果たすのだと私は思う。
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良いもの、良い暮らし。実直に、不器用に、本当に根付いていく文化を継承する
くるみの木代表 石村由起子氏
日本の職人さんの世界には、技術の継承だけでなく、その世界での生き方を学んでいくというものづくりのサイクルがあるんです。お世話になった方を大事にするとか、そういう全てのことを学んでるんだなと思うと、私は何を渡せるかな?と思いました。
私の場合、暮らしそのものが仕事でもあり、仕事が暮らしでもあるので、公私を切り離せない部分も多くて難しいのですが・・・。暮らしって、一過性のブームや綺麗に飾ることではありません。暮らしは人生だと思っています。心豊かな人生を手に入れるためには、仕事も一生懸命やらないといけない。ずるいことは、しちゃいけないんです。「まっとうに」って、実は不器用なことなのかもしれません。真似してちゃちゃと済ませるのではなくて、地味なことを毎日毎日、コツコツ積み上げて、意義のある人生を自分で見つけていく行為なんですから。ある意味、手刻みともいえるかもしれませんね。
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誰かの軌跡
有限会社BACH(バッハ)代表 ブックディレクター
幅允孝氏
「手刻み」というのは古来から続く「技術」であるだけでなく、世の中に対する「姿勢」なのだと思います。
京都市左京区に堀部安嗣さんの設計で「鈍考/喫茶 芳」という自宅兼私設図書室&喫茶をつくりました。堀部さんにお伝えしたのは「時間の流れの遅い場所」というコンセプト。現代のシステムやテクノロジーが人に求める速度や精度に対して、もう少し鈍くて余白のあるヒューマンスケールの日々を過ごしたかったのです。それを実装するときに手刻みという手法は、最も似つかわしい選択肢だったと思います。
羽根建築工房の羽根さんとはこのプロジェクトで初めて顔を合わせましたが、まず人として信頼できました。そして、工房で墨付けや刻みの様子を直接拝見して、技術への信頼へと繋がりました。「金輪継ぎ」や「追掛大栓継ぎ」のサンプルモデルを見て驚嘆しました。もちろんプレカットの技術も年々進化し、それに情熱を注いでいる人もいるのでしょう。それを否定するつもりはありません。が、私の家は現場の棟梁だった矢守さんをはじめ大工の皆さんの手がつくったという確かな手応えがあります。そして、解像度の高い彼らの技術と眼が、建築物の細部にまで行き届いている実感があります(堀部さん風にいうなら、「サウナ後の水風呂と外気浴で、指先の毛細血管にまで血流を感じている」といった感触でしょうか)。
生成AIなど、人間の領分を超えるテクノロジーが今後広がる可能性が高い世の中で、日々の住まいには人の痕跡を感じて過ごしたい。もちろん建物としての堅牢さや粘り強さなど、スペックとして優れている点を証明することは手刻み大工の地位向上のために欠かせないと思います。が、それ以前に私たちが人として感じる根源的な心地よさやつくり手の顔が見える安心感、ちょっとしたことでも相談できる親しみが手刻みの世界にはあります。加えて、私よりもずっと若い棟梁の矢守さんは、末長く家の変化を見届けてくれるはず。そんな地に足の着いた建築と住む人の関係を構築する手刻み文化が、加速し増大し続ける晩期資本主義の時代に見直されていることを嬉しく思います。
顧問・相談役メッセージ
顧問になっていただくことを快諾いただいた堀部安嗣さん、山辺豊彦さんは当会にとって極めて大切な方です。また当会の発起人であり、代表を離れても相談役としてサポートいただいている野池さんからもメッセージを頂戴しています。

今後の木造建築と職人
顧問 堀部安嗣建築設計事務所 堀部安嗣氏
日本のカメラメーカーは大衆に迎合して一気にフィルムからデジタルに移行した。時代に対抗するにはそれしかないと考えたのだろう。しかし移行した先にはスマホにそのシェアのほとんどを奪われるという皮肉な運命が待っていた。
一方で今若い人にフィルムカメラが人気がある。もちろん少数派だが、皆んなが多数派に傾けばいずれ人は少数の価値に気付く時が必ずくるのだ。
作り手がそれまで辛抱して、少数派だからできる質の高いものづくりを手放すことなく作り続けることができるのかが問われているように思う。
競争の激しい既存市場を「レッド・オーシャン(赤い海、血で血を洗う競争の激しい領域)」、競争のない市場を「ブルー・オーシャン(青い海、競合相手のいない領域)」と呼び、これからはブルーオーシャンを拓いてゆくことが求められるという見方だ。
大衆相手としたマーケティングから生まれるものは結局みんな同じになり、レッドオーシャンしか居場所はない。競い合いの末になにも得ることはできないだろう。
私たちの仕事はもう少し辛抱すれば、まさしくブルーオーシャンを生きられるのではないか。特にこれからの若い人にはブルーオーシャンを生きてほしい。
大規模な建築現場に従事する監督や職人から“生気”が消えている。ものをつくる、建築をつくる喜びなど得られず、歯車の一つとなり無表情で機械的に働いている。
それに比べれば、まだ木造住宅の世界はずっと恵まれている。木という自身の身体の延長にある物質と触れ合うことができ、身体と感情を伴った仕事ができるからだ。
なんとか良い形で次の世代へバトンを渡したい。
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手刻みの意味は
バリエーションを生み出していけること
顧問 山辺構造設計事務所 山辺豊彦氏
手刻みの現状と可能性
時間とコストの問題は大きいですね。手刻みというのは本来、大工さんたちに勉強してもらったり、あるいは実験のデータも見てもらえれば、現場での実践と結びつくわけです。「耐力がどれだけ出るか」というのとリンクしていく。「数値上これは大丈夫だ」「これはちょっと軽微なところに使おう」とか。継ぎ手、柱と梁の仕口、それぞれの形に応じて強度が違うので、勉強した大工さんであれば、適材適所で仕口を作っていける。大工さんがやる手刻みの意味は、それぞれの強度に応じて、バリエーションを生み出していけるということです。
手刻みのこれから
手刻み技術を継承していくためには、大工さんたちにお願いするだけではなくて、設計者や建築を設計する方が学んでいただくことも重要ですね。非常にそこは連携みたいなもの。
日本にはやっぱり、世界に誇れる大工技術ってのあるんですよ。これは世界的な事実ですからね。ぜひやってもらいたい。せっかく宝物なんですから地域ぐるみでそういうものを生かせるような、「顔の見える関係」で、街づくりであったり学校づくりであったり、そういうところに生かしてもらえるといいな。


『手刻みで家をつくることについて』を
読んでほしい
相談役 住まいと環境社 野池政宏氏
大工は高齢化しながら減少しています。私が小学生の頃は「男子のなりたい職業」の上位の常連だった大工ですが、そんな時代ではなくなりました。個人商店がどんどん減り、大企業がマーケットを牛耳るようになってきて、大企業に入ることの価値は私が小さい頃よりも圧倒的に高くなっています。大工の減少はこうした時代の流れにまさしく巻き込まれた結果です。つまり大工の減少は「構造的な問題」です。
さらには、この30年ほどは住宅建築がどんどん合理化されてきた時代でもありました。合理化の目指す先はコストダウンです。そして合理化として現れる具体はスピードアップです。手刻みのような丁寧な仕事とは真逆の、強力な時代の要請が住宅建設業界を巻き込んでいきました。つまり手刻み大工の減少も「構造的な問題」です。
構造的な問題を解決するのはとても難しい。よーくその状況を見て分析し、徹底的に論理的な思考で問題解決に向かう作戦を考え、実行しないといけません。しかも、その作戦はAだけじゃなく、BもCもというふうに立体的なものじゃないとダメです。そんなふうに立体的に動き続けていると、ジワジワと問題がほぐれてくることがあります。私が書いた『手刻みで家をつくることについて』という冊子は、作戦Cくらいの強い武器になると思っています。たくさんの人に読んでほしいと思います。
